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くのや歳時記 「やんぐの甚平姿」

くのや歳時記「やんぐの甚平姿」

銀座で70年以上商いに携わり和装と銀座の街をこよなく愛した、くのや7代目当主 菊地泰司が『銀座百点』で1979年から1年間連載した「くのや歳時記」を掲載いたします。季節毎の日本の習慣や当時の銀座の点景を切り取ったエッセイです。

 

「やんぐの甚平姿」

六月の第三日曜日は”父の日”である。

“母の日”から一ヶ月と一週間遅れているところが、いかにもレディファーストの国アメリカらしい決め方でほほえましい。すっかり洋風の生活が身についた昨今だが、夏の風物詩の中にはまだまだ純日本風があちこちに、残っている。たとえば、うちわ、縁台、風鈴、線香花火、ゆかたなど。

中でも”じんべい”が近ごろ大変な人気を博している。

老婆歩きつつ甚平に手を通す

という句があることから考えると、”じんべい”は男だけのものではなかったようだ。夏着る袖なしをそう呼んだらしく、もともとは甚平あるいは甚兵衛という人が考案した衣料とする説、陣羽織の転約であるとする説など、さだかではない。

とにかく普段着あるいは仕事着の上着だったので、夏だけのものとは限らず、夏は素肌に、冬は寒暖の調節のために下に着たようだ。東京ではあまり着られなかったが、大正末期ころから下町の人々に愛好者が多く出、次第に今のような型の夏のホームウェアーと発展して来た。素材は綿、麻など直接肌に触れるものなので天然繊維が圧倒的だが、洗濯、価格、丈夫さを考えて化学繊維のもの、あるいはその両者混紡のものも相当数出て来た。半纏との違いは丈が少々長いこと、そして打ち合せがあることだろう。その打ち合せのためにボタンを使っていない。そこがどこか和服の匂いが残っているゆえんかも知れない。

風通しはまことによく、素肌にふれる感触も夏らしいのだが、いざ外出となると穿くものに困ってしまうのが甚平の欠点と私は考えていた。だが・・・・・・・。

黒無地の甚平の下に真白のパンタロンをはいた若者に出逢うと、共布のパンツよりよほどピッタリしていたり、またGパンの上にしゃれた格子柄や手描きのものをさりげなく着こなした感じがナウで、今までのような、共布で作ったバミューダパンツともステテコともつかぬものと手を切る方向でいけば、甚平も外出着へ成長してゆくのではないだろうか。

ヨットのクルーで海水パンツに揃いの甚平を着ていたヤングを、私はすごくしゃれっ気たっぷりで粋に感じたこともあった。オリエント・ムードをうまく使いこなすヤング独特の智恵にはいつも感嘆させられる。

また、外国旅行をした折、部屋で甚平を着ていたらひどく珍しがられ、土産に差し上げて大喜びされた経験もある。

出典 : 銀座くのや七代目 菊地 泰司 「銀座百点」

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