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くのや歳時記 「和服のバッグ」

銀座で70年以上商いに携わり和装と銀座の街をこよなく愛した、くのや7代目当主 菊地泰司が『銀座百点』で1979年から1年間連載した「くのや歳時記」を掲載いたします。季節毎の日本の習慣や当時の銀座の点景を切り取ったエッセイです。

 

「和服のバッグ」

 

小学唱歌に歌われたかわずの鳴く音も鐘の音も、すでに聞えなくなった銀座の街角だが、朧月がビルの間に間に顔をのぞかせてくれる夜がある。やはり春だ。そぞろ歩く人々の足どりがどことなくのんびりとしてくるのが、店の中からもよくわかる。”銀ブラ”なる言葉が生まれたのも、きっとこの季節ではないだろうか。

 

真赤な地に白く「東をどり」と書かれた短冊風のポスターが銀座の店々の店頭に飾られ始めると、街中がなんとなく華やいで来る。

 

その東をどりも紆余曲折もあったが、今年で五十七回目を迎えると聞く。何につけても古い伝統を受け継ぎ、隆々と現代に息吹いているのは立派なものである。関係者の努力はさぞや・・・・・・と推察する。 その東をどりが吉例の揚としてきた新橋演舞場も、七月で取り壊されると聞いた。このあと三年ほどはお目にかかれないと思うと少々淋しい気もする。大正十四年四月三日が柿落しとのことなので、演舞場が東をどりを生み、育てた五十四年間を想うと感無量である。

 

舞台の華やかさ艶やかさはもちろんだが、幕間のロビーの雰囲気は独特で、この二十年来生きた教科書として何にもまさる勉強の場として私を大いに育ててくれた場所の一つである。磨きあげられた和服の着こなしとそのセンスは、このロビーならではである。

 

その中で近年特に気のついていることは、その方々の手にされているバッグである。

和服姿の多くの方々がほとんど外国製のものを持たれている。いや提げている。それがまた日本の和服とすばらしくよく似合っているのだ。 和洋混在の国際化社会がそこにある、一級品と呼ばれるものに国という枠はないのだとつくづく思わされる。

 

必ず腕に抱えていた着物のバッグが,戦後確か『夜の蝶』なる映画が発端となって、革製の提げる型へと移行してしまった。これは持ち歩くものが多くなった現在の生活様式を反映しているのだろう。今では冠婚葬祭あるいはいったんことあるとき以外は、ほとんどといってよいほど手提げの革ものが使われているようだ。

 

特に六、七年前になろうか、パンタロンの流行を機に革命的にバッグの型が変わり、ショルダーヘと移行するとともに近年の舶来品趣向がそれに拍車をかけ、とうとう本来の日本製和服用布バッグはほとんど姿を消すことになり、和洋兼用の品として革製の手提げバッグが一部残っているに留まる昨今である。私どもの努力不足である。

 

日本古来の着物に似合う舶来品がある一方国際感覚を兼備した日本独特の製法によるバッグがもうそろそろ出て来てよいころと思う。

いや和装小物を扱うひとりとして一日も早く世界に通ずるバッグを創らねば・・・・・・と責任を感じ、日々精進している。

 

出典 : 銀座くのや七代目 菊地 泰司 「銀座百点

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